Palenque

マヤ人が残した遺跡のひとつ、パレンケ遺跡に行ってきました。前泊のサンクリストバルからナビで3時間の道のりは、曲がりくねった山道と物売りによる通行止め、(国道に勝手にロープをかけ、食べ物などを買ってと車に売りにきます。子供からさつま揚げみたいなものを買いました。多分コーンか豆でできた揚げ物。サンドロは一口しか食べなかったので、私は一人で3枚食べました。)トープ(スピード防止のため、道路にある凸凹)の半端ない数により6時間かかりました。さすがにサンドロもお疲れの様子。ホテルの敷地内にあるキャンプ場では、夕方から夜にかけて猿の鳴き声が響いていました。猿の鳴き声って、キーキーみたいな軽い感じと思っていたら、実際はかなり怖く野生的。ゴーゴーと低い声で掃除機のような音を立てていました。2歳の姪っ子ちゃんに動画を送ったら“鬼?“だって。発想が可愛すぎる。でも確かに、そうも思える怖さです。

キャンプ場から遺跡の入り口までは歩いていける距離だったので、翌日まだ人も少ない早朝から早速遺跡探検です。今回は地元のガイドさんと一緒に回ることにしました。ここパレンケ遺跡はジャングルに埋もれた遺跡。公開されているのはたったの8%、発掘調査が行われているのが全体の40%で、未発掘の部分は60%。ガイドさんには、遺跡、歴史とジャングルのコンビパックをお願いしました。マヤ文明、マヤの歴史についてはほぼゼロの知識でしたので、ガイドさんに色々説明してもらってたくさん勉強になりました。細かいことを書けばきりがないのですが、最も興味が湧いた二つのことは残しておきたいと思います。一つ目は、当時権力を持っていた王族は近親婚によるものということ。近親交配を繰り返した結果、指が6本あったり、片足だけが極端に細かったり。また、生まれて間もなくまだ頭の柔らかい頃から人工的な変形奇形を繰り返した結果、頭が40cmにまでも伸び、鼻が突き出た頭部。見ようによっては宇宙人のようにも見えます。(マヤ文明と宇宙人の関係を裏付けるような都市伝説、神話、仮説もたくさんあるそうです。パレンケ遺跡から発見された石碑の一部にも、マヤ人がロケットを操縦しているようにも見えるものがありました。)これらの奇形を持った王族の人々は石碑に残っていて、しっかりと確認することができました。また、他の遺跡では類をみない女帝支配にあったそうで、この女王も白い肌を持っていたとされています。そしてこの時代独特の生け贄のこと。人体を何度も引きづり下ろしたことで色の変わった石段。「遺跡を登る階段のステップが高いですね、マヤ人は小さかったんでしょう?」とガイドさんに尋ねると、これは階段ではなく処刑台を見下ろすベンチなのだと。怖.....二つ目は、マヤ文明と言えば天文学。これは有名ですね。暦は月を中心に考えられていたそうです。ここでも秋分、春分、夏至、冬至と計算され作られた跡を見ることができました。秋分、春分の日に窓から差し込む太陽の光が王の文字を照らし出す。遺跡の石段(ベンチ...)も9の倍数。難しくて全ては理解できませんでしたが、これもまた天文学に関係しているようです。日本ではまだ縄文時代の頃、すでにここまで文明が発展していたとは驚きです。ものすごく頭のいい人たちだったようですが、ガイドさんはこんなこともおっしゃっていました。マヤ人も間違いを犯した、と。マヤの遺跡は石で造られていますが、その石と石との接着剤となるセメントを作るために多くの森林伐採をし、その熱を利用してセメントとなる石を溶かしていったそうです。そのため、干ばつ、酸性雨、作物は不作となり、それが引き金となってマヤ文明そのものを終始に追いやったとか。そのことに途中で気がついた彼らは別の方法を用いて遺跡を築いていきましたが、時すでに遅し。そのことを記すかのように、遺跡の下の部分の方が頑丈で、上の部分が崩れているのがみられました。むやみに地球を傷つけていくと、自分たちももうそこには住めなくなる。これは現代にも通ずる私たち人類の課題のような気がしました。ジャングルツアーの方も面白くって、根っこがスパイシーなジンジャーだという木や遺跡にも使われていたゴムの木、またマヤ人の祖先は中国やモンゴル、アジアの方から渡ってきたことを示す竹や元々はアジア生息のフルーツの木などを紹介してくださいました。アリも食べました。小さいの1匹だったけど、しっかり味がして、クランチーでした。ピーナッツバターのような味。ガイドさんは立ち入り禁止のところにもどんどん入っていき、そこにはジャングルに侵食された未発掘のマヤ遺跡がありました。彼はマヤの本当の姿はこのジャングルに眠っていると言っていました。まだまだマヤミステリーは続きそうです。

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